« 「すいか」的 | トップページ | 清水発-19・09年02月06日(金)「安全祈願」 »

2009年2月 3日 (火)

潮岬灯台(しおのみさきとうだい)

 081112_sionomisaki_02

紀伊半島の先端にある潮岬は、台風情報で良く耳にする所で、本州の最南端になる。潮岬の潮は潮流を意味するので、潮流の岬ということになる。フィリピン沖を北上して来た黒潮が、紀伊半島の先端に最も近づき時により本流が当たる。081112_sionozinその時の速さは4ノット近くまでなる。現代の船舶の動力では流れに逆らっても、時間が掛かる程度のことだろうが、日本海の北前船や太平洋の樽廻船、菱垣廻船で知られている江戸時代の廻船などの風力を利用する船舶は、内燃機関が主流となるまで、航海において潮流は、重要な要素であった。黒潮は、潮岬に当たり伊豆諸島を迂回するように房総に接近し銚子で本土から離れていく。 090122_omae_siono江戸と大阪を行き来する廻船にとって岬を回って大阪に行くには潮を上回るが風り力が必要なために、串本の大島港に多くの船舶が風待ちのために停泊をしたと云う。灯台から見える神社の大きさから当時の繁栄が垣間見える。
  そこに建つファインダー越しに見る白亜の灯台の第一印象は、御前埼の灯台と「そっくりだ」と言うことだった。帰宅後に調べると、共にリチャード・ヘンリー・ブラントン(Richard Henry Brunton, 1841年12月26日 - 1901年4月24日)の設計及び監督で建てられた参観灯台とあった。御前埼は、レンガ造りで塔高 22.47 m ・灯火標高 54.0 m ・初点灯 1874年(明治7年)、潮岬が塔高 22.51 m  ・ 灯火標高49.47 m ・初点灯 1873年(明治6年)。081112_sionomisakiこの時点での潮岬灯台は木造で、現在のような石造りの物は、1878年(明治11年)に建てられたとある。ブラントンは、1876年3月(明治9年)に帰国しているので直接に監督及び指揮を執っていないことになり、よって弟子たちの作になる。その時に、現地の地形に合った物として御前埼灯台を参考して建てられたのではないだろうか。そして、太平洋戦争で艦砲と銃弾で破壊された御前埼灯台を今度は潮岬灯台を参考に修復したとしたら、直一層に似てくる。081112_sionomisaki_01実際に内部に入って展望台まで出てみるとガラス面が狭い所と螺旋階段の幅が広い感じがしただけで、まるで同じ図面から作り出された双子のようだ。潮岬灯台の光は、南西を中心としているようで北上する船舶の標となっている。そして、東方向にある紀伊大島の樫野埼灯台が北東を中心として南下する船舶の標となって2点を持って岬を位置づけている。
灯台から望む海は、黒潮特有の色で、濃い青と薄い青で潮目ができていて、静岡で見るような緑色が混じることがない、紺碧という字がピタリとはまる。灯台入り口の脇にある資料室に2等フレネルレンズを置いてある。 戦前の御前埼灯台には、これに匹敵する回転式の1等レンズが設置されていたと思うと残念だ。

|

« 「すいか」的 | トップページ | 清水発-19・09年02月06日(金)「安全祈願」 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/181000/43946482

この記事へのトラックバック一覧です: 潮岬灯台(しおのみさきとうだい):

« 「すいか」的 | トップページ | 清水発-19・09年02月06日(金)「安全祈願」 »