カンテラ
現在では、夜に照らす物は懐中電灯が当たり前だが、昭和40年ごろは、まだカーバイドのカンテラが使われていた。
当時は、祭りの縁日や露店では、電燈が主流に成りつつあったが、屋台などはまだまだ、カーバイドランプが使われていて噴出ガスの音と炎の色が独特の雰囲気があった。
カンテラは2段構造になっていて、下部に缶から取り出したカーバイドを入れパッキンをして上部と蝶ネジで締め付けて固定をする。上部に水を入れ給水口にあるツマミを回すことによりネジが緩み水が下部に落ち始めるとカーバイドと反応してアセチレンガスがYの字になっている火口より「シュー」とした音を出し発生する。火をつけると左右のノズルから出る炎が当たり更に大きな炎になり、より一層に明るさを増し、光度も高く40~60ワット位はあったのではないかと思う。但し、炎は高温なので長時間、光度を上げていると火口が長持ちしない。
カーバイドは粘土の固まりを砕いた様な物で手に摂ると粉っぽくて、ドブの臭いがした。コレは硫化水素の臭いなのだが、それを知ったのは中学生の時に遠足で箱根の大涌谷に行った際にカーバイドの臭いがする。子供心に「ここでカーバイドを掘り出しているんだ」と思ったものだ。
夏の夜、家からカンテラを持ち出し、近所の悪ガキが集まり探検に出かけた。神社の境内・工場の跡地・材木置き場・防空壕など、日中、遊んでいる場所に、現在よりずっと暗い夜に行くと視界は光が届く範囲だけで、まるで別世界にいるようだった。ノズルの部分が小さな焼き物で、作られていて少しの衝撃でも割れてしまい、よく親父に叱られたものだ。
親父の夜釣りは、目が利く内に釣り座と準備を全て済ませるために、何時も夕方から始まる。浜で流れ着いた手ごろな枝などを3本拾い、短めの縄で括り3脚を作り浜に立てカンテラを吊るした。ある時に従兄弟が懐中電灯を持ってきた。サーチライトのような集光力で50mほど離れた場所まで光が届く、あの驚きは今でも、ハッキリと覚えている。
日が落ちてカンテラを着火すると、懐中電灯と違い、広範囲を照らし釣り座を包んでくれる。そして時折、親父がカンテラを手に取りタバコに火を点ける仕草が妙に絵になっていて、大人への憧れを感じたものだ。
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