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2007年4月28日 (土)

清水発-03・07年04月27日(金)  

晴れ後曇り・日照-06.8時間・温度10.5-17.3℃・13時-南-4m・湿度34-53-63%・気圧1022.3hPa。07042709
波(m) 1.5メートル 
日の出/日の入り  5:01 / 18:28
潮     若潮
干潮(時間)潮位(cm) 9:14(71) / 20:43(52)
満潮(時間)潮位(cm) 2:54(128) / 14:41(112)
水温 16度
濁り 澄み・笹濁り
風向 東~南南西 
潮流 焼津方向
場所 駒越中~久能東
釣行 09半時~12半時 流し釣り
釣果 なし(T_T)
 天気図では日本海側から高気圧が張り出しているで寒くなる感じがしたが、風により体感温度が下がらないことを期待して、まずは久能海岸まで出てみたが、水面がキラキラして余り状態は良くなく、東照宮まえで大きな潮目があり海の色がはっきり別れていた。駒越の貯水タンクの高台から数艇が鯵を狙っているのが見えたのでマリーナに電話をして「燕」を下ろしてもらった。
 スイカさんに操船を任せて仕掛けの準備をしながら駒越沖に途中、鯛場は2,3艇が深場と浅場に散らばって、ノッコミもそろそろ終りと言う状態だった。東海大前で駒越沖での漁師さん達とすれ違い期待が薄れて余計に風が冷たく感じた。
 駒越沖に到着したが誰も居なかった。しかし折角ここまで来たのだからアンカーを打たずに少し流すことにした。最初は駒越西50mから駒越中30m・次は中50mから駒越西25m・3度目は西55mから久能東25mまでのところで西寄りの風が強まりウサギが飛び始めた。当たりが無いと身体が冷えて風が身にしみて、ここで沖上がり。良く考えると、次回のポイントを探そうとしたが魚に食い気が無ければ、その上を素通りしていることになる。
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2007年4月21日 (土)

清水発-02 07年04月20日 (金)

曇り時々少雨・日照-3.3時間・09.6-16.7℃・11時-南南東-3m・湿度70%・12時-気圧1024.1hPa。
波(m) 2.5メートル      070420
波長  9.7秒
日の出/日の入り  5:09 / 18:22
潮     中潮
干潮(時間)潮位(cm) 0:50(71) / 13:12(-11)
満潮(時間)潮位(cm) 6:21(151) / 20:11(147)
濁り 浮遊物有り・赤潮
風向 北~東~南 
潮流 不動
場所 三保沖・鯛場
釣行 09時~11時
釣果 なし(T_T)
 久しぶりに愛艇「燕」を海に下ろした。桟橋から海中を見ると2~3mmの綿の塊のような物が無数に漂っている。離岸堤付近で真鯛が釣れたとの情報があったためか岸からの浮きが、かなり沖まで来ている。あれではすれ違う時に引っ掛けてしまうかも知れない。離岸堤から吹流し当たりは海面が赤く染まっていた。ラジオで浜松地方で雨交じりの空模様だと言っていたのでここも雨が降るのも時間の問題だと思い、底物狙いに薩埵沖に行くつもりだったが取り止め鯛場の3、40mに何が居るものか一度試してみたくて、以前、黄色のポールが立ってた沖35mから底物の仕掛けで錘を軽くして流し初めた。ここでも小さい塊がすごくい。もしも私が魚ならば、こんな日は消費酸素を最小減にするため、積極的に動かず底にベッタリ張り付いている。
 風もなく潮も動いていないので船が微動足りともしない。仕方がないので微速で船を流したが不自然な動きになるのか弱い当たりはあるが乗っては来ない。やはり潮が動いていない日は厳しい。鯛場は4月からは10時半までになっているので、南高沖に行って間もなく11時ごろから冷たい雨交じり風が吹き体感気温が一気に下がったので沖上がりをした。

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2007年4月16日 (月)

チャカ

 チャカと言っても拳銃のことではない、カセを曳く伝馬船にエンジンを載せた物を親父達はそのように呼んでいた。40年前には浜から直接に漕ぎ出す地引網など櫓を使う船も存在していた。他所では言わないらしくネット上でも、ほんの少ししかヒットしないので、多分チャカとは限定された地域の呼び名ではないかと思う。小型の曳き船をそのように呼んでいたもの分からないが、私は機械のカチャカチャする音から来ているのではないかと思う。
 清水港でのダンコ釣りに使うカセ船を何艘もチャカに繋ぎ準備が整うと釣り船屋の親父さんがエンジンの始動に掛かる。何時もカセに乗り込んでいたので間じかに見た訳ではないがクランクレバーをまわして掛けていたような気がする。煙突からドーナツのような煙を出してタンタンと単発特有の軽快な音を出して起動する。巴川沿いにある釣り船屋からカセを曳いて港内まで少し下る。現在、巡航で20ノット以上出るボートに比べ5~6ノットで進むチャカの音が、早朝の静けさの中で両岸の壁に反射し心地よいリズムを刻んでいたことを今でも覚えている。
 港でのチャカの印象は軽金前の貝島沖で停泊中の材木貨物船から丸太を降ろして海上で筏に組んで小型動力船のチャカがそれを港最深部にある折戸の貯木場に引いていく、作業内容は曳き舟だが大型船のタグボートよりは、1・2回り小型だったように思える。清水港の材木事業は昭和初期の折戸・貯木場完成から本格的に行われていたことから、私が見ていた時には既に40年以上の作業工程の歴史があったことになる。その筏の上に乗り作業をしている光景は時代劇で見る木場の現代版の様な雰囲気があった。時には巴川を運河にして上流の製材所に丸太運びに行き来していた。

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2007年4月10日 (火)

師と士

 数年前に入院した時に看護婦さんの名称が看護師なっていた。師長さんに伺うと2002年の春から変わったと知らされた、それ以前の私は仕事人間で知る由もなかった。それまでは、男性は看護士と呼んで区別をしていたので男女平等を考えると「婦」に対しての「士」なので相応しくなく「師」としたとの事だった。「士」と「師」と言えば私も30年ほど前の学生時代に病院実習に行った。医療現場では、高度医療従事者の「師」が付く人達とその周辺の人に分かれていた。その中で患者さんと一番長く接してしる人は看護婦さんなのに蚊帳の外で中々意見が通らない感じがした。実際に自分が病気なってみると、医師は原因を取り除くことに全力を尽くす余りに無機質なり、此方も気を張っているためにストレスが溜まる。それを看護師さんが日々の看護の中で癒し、治癒に導いてくれる役割は大きい。そんな看護師さんの意見が「師」になることで少しでも上に通るならば大いに結構なことだ。
 資格には、免許が無いと処罰されてしまう「業務独占」と名詞に肩書きを書いて利用してはいけない「名称独占」があり、前者に比べ後者は広範囲に及ぶので資格としては雲泥の差があるように思え、自己満足の資格とまで言われてしまう。私も若きころに自分が目指している物が「師」ではなく何故に「士」なのだろうかと考えたことがある。「師」は師匠・先生などの人を導き教える親方のように独立して業務を行うことが出来る。また「士」は才能をもって官に仕える者で公務員的で組織の一員のような役割がある。「士」に属する「栄養士」は大正15年の「栄養技手」から始まり昭和4年に内務省により、国民の健康増進が富国強兵へ繋げる一端を担うために御国より折り紙を頂いて栄養士が各地方庁に設置された。
 今後、更に作業が細分化する中で文字による「士」と「師」の壁は無くなって行くだろうが、「士」を使って業務をする際には、「官に仕える者」が転じて「依頼人を支え、護る者」になったと私は思っている。指導する立場の「師」として自分が上から引き上げる身なのか、仕える立場の「士」として下から押し上げる身なのか良く考えたい。

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2007年4月 5日 (木)

土肥漁港

070402toi_minato  4月2・3日と土肥温泉に一泊をした。西伊豆からの夕日や富士を背景にした桜などを撮りたかったが、あいにくの曇りで海上に靄が出て清水を眺めることも出来なかった。070402toi_tobisimamaru
仕方がないので夕方の漁港の風景を撮りに行くと遊漁船の帰港に遭遇、河岸で皆で記念撮影をしていた。070402toi_tobisimamaru_chokaなんと有名な「とび島丸」だった。土肥沖での釣行で一人の方の釣果を撮らせてもらった。鯛場のノッコミも待ちどおしい。

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