静岡おでん
最近、おでんが持てはやされている。
鍋料理は、ご当地食材を使うので、長い歴史の中での地域性が出て面白いことから、学生時代にゼミの発表会で「御田」を取り上げたことがある。起源は、京都地方の「田楽」から来ていて室町時代まで遡ることができる。現在の田楽味噌は甘い、しかし室町の甘味は非常に高価で日常的に使われるものではなかったてめに、辛子味噌にしていた。調べを進めていると、古い順に串・昆布鰹出し・味噌・醤油・動物性出しになり、さらに高知に静岡と同じ串を刺した「おでん」があり辛子味噌を使うことを知った。その時に私の頭の中に高知県・土佐・静岡県・掛川・山内一豊が浮かび因果関係を追及したがついに答えは出なかったことを思い出す。
静岡での「おでん」のダシは牛や鶏に魚の練り物を加わえ、それに醤油で味を調えることにより和風が強調されて、戦後の食生活に合わせた優れたものになった。逆に言えばこれだけの旨み成分が入っていれば、色々な食材を使っても美味しくなるのだが、私的には玉葱などの葱系を入れるとダシの性格上、洋風が強くなり醤油や砂糖を使わなければポトフなどの違う系統の料理になっていくような気がする。
大正時代から続く「おでん」は、世間では静岡県の「おでん」と位置づけられているが、仲間内の三島や浜松の者に聞くと子供の時には市内で食しているような「おでん」はないようで食べ方もしていなかったそうで、突き詰めていくと静岡県中部に限定されてくる。
昭和32年(1957)に第12回の静岡国体は、初めての聖火リレーがあったりして国民の関心も高く、安倍川の東海岸沿いにある大浜公園内の市営プールに全国の人が集まった。中部の人間にとって「おでん」への思いは、この国体時に大人か子供であったかで、大きく分かれる。当時子供だった三丁目の夕日世代の我等にとって「おでん」は冬だけの食べ物ではなく、大浜のプール遊びで冷えた身体で食べる「おでん」が美味しい。しかし、子供心にカキ氷も食べたい。結局、「おでん」とカキ氷がセットになってしまっている。大人になった現在でも、真夏の日のある内に食べる「おでん」には、冷えたビールよりもカキ氷の方が欲しくなる。
昔の静岡には「おでん」がいたるところにあって、町内に1軒はあったのではないか、青葉公園の屋台群・酒屋店の奥く・海やプールの脇に立ち並ぶ海の家・おやつ代わりに子供通う駄菓子屋・御握りや干瓢巻きなどがある軽食屋・たいがい、店の陳列ケースの奥に鍋が設置されていた。そして、小学生の頃に友達と駄菓子屋さんなので食べていると、何も付いていない串を掴んでしまう時がある。誰かが食べ終わった串を鍋に戻したのだ。慌てて鍋に戻そうとするのだが、そんな時に限って店のオバサンが見ている、仕方なく泣き泣き自分の皿に置くのだが・・・私達は、それを地雷と呼んでいた。今でも仲間が集まると、そんな昔の笑い話に華が咲く。これも、具が見えないほどの色の濃い静岡おでんならではの話だろう。それと私は「おでん」と共に当時燃料として使われていた練炭の匂いも思い出される
今ではスーパーに駄菓子のコーナーが出来、コンビニの影響で酒屋さんや御握り屋さんが次々と無くなってしまったがそれも時代の流れだろう。
※静岡おでん 我が家のレシピ
http://go-go-swallow.cocolog-nifty.com/blog/2007/11/post_5268.html
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