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2007年1月30日 (火)

投網

 店のテレビ脇に全優勝者の房から自分の名前を前に出し、誇らしげに大会の優勝旗が飾られていたことを良く覚えている。 
 天候が良くない日には、親父はよく投網を編んでいた。竹で作った1寸のスケールを使って一目一目編んで行く,私が「網目をもっと小さくすれば鱚とか細長い魚が取れるのに」と聞くと父が「高速で泳ぐ魚を捕らえるのには網を大きく開かせる必要があるので網目を大きくしないといけない」と言っていた。
 投網は河口でをすることが多かった。浜辺に腰を下ろして波を見続けていると砕ける寸前の波が透けて見えるその中に縦に数本の鯔の影が見えるしばらくするとその中に黒く大きな影が横に走ると鯔の影が散るその様子が見えると,父は「よ~し」と言って投網の仕度をする,その横に走る影は鱸で親父は何時もそれを狙って網を打っていた。不思議なことに投網と書くのに網を投げるとは言わずに地元の仲間内では撃つと言っていたように思える。ほとんどが鯔だが時折,鱸が捕れるその中でも稀にメーターを越える物もある。
私も高校の時に浜で投網を撃つ練習をした。なかなか丸く開くことが出来ないでいると,最古参の投網仲間・・その当時の私にはお爺さんに見えたがその人が「投網は打つんじゃなく撃つんだ,捕りたい魚が3尺あれば3尺開けば良い,5尺あれば5尺開ければ十分だ。大事なことは,大きく丸く開くのではなく狙った獲物に網を掛けることだ。」と言った。その時は「当たり前ジャン」と思ったが今この歳になると,その人の言葉が,ある領域に達しなければ出ない言葉だと分かる。

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2007年1月26日 (金)

 愛艇を持てるようになった2002年の春より、天気図を見ることが日課になった。それまでは明日が雨になるかのだけで、気圧や風については、あまり興味がなかった。
 4年間ではあるが天気図とアメダスによる駿河湾北部にある清水の風を見ていると、南に開く狭い谷のようになっているこの湾の奥には、海面から一気に3700m以上になる富士がある。南西斜面に港口が向いている清水は、温度差の影響か早朝から気温が上がるまでは富士山からの風で、その後は石廊崎からの風が多くなる。冬の風が強い日に富士を見ていると、高台の氷から冷気が降りてきているようだ。一日の風向きの予想が比較的に分かりやすいので釣行計画が立てやすいが、ただ難点は富士山からの風が強いと港から出ることが出来ないこともある。
 昼過ぎになると、前線の通過や台風の影響がない時は南南東の風が圧倒的に多い。何かの本で読んだのだが、飛行場を作る際の条件に一定方向から吹く風があるそうだ。三保飛行場の滑走路が南南東に向いているのはそのてめだうか。
 ウネリについては、広域の天気図で予想がつくし出港前に浜辺を見ると分かるが、沖に出て一番に気になるものは風だ。遥か沖からの台風などのウネリは波長が長いので流し釣りなどでは、波高が自艇の幅を超えない限り危険を感じることは無いが、それに風が加わると厳しいものがある。

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2007年1月20日 (土)

清水発 07年01月19日 強風

 
070119_1136410440001000020070118210000_1早朝6時のアメダスで清水・北風5mとあり一旦は諦めたが天気図では治まりそうなのでマリーナで様子をみることにした。高松海岸はベタ凪でデーターどうり、東照宮を過ぎた当たりから北風が強まりこれもデーターどうり、この当たりは日本平を挟んで大きく変わる。暫く放っておいた「燕」の船内の片付けとバッテリーの点検、可動部のグリスアップ等 をして風の治まるのを待っていたが時間切れ。この時期の清水界隈は、良い凪に巡り合える日は少ない。帰る途中で風が止んだので駒込海岸に出て様子を見に行くと、風をやり過ごした船が南高沖から駒越東の駆け上がり付近で釣行をしていた。070119_06minamikouoki_01 070119_07komagoehigasi_01
 

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2007年1月16日 (火)

静岡人と海豚

県のホームページを見ていたらこんな記事があった。
「静岡県で行われる「いるか追込漁」に対する県の考え方   http://www.pref.shizuoka.jp/sangyou/sa-430/irukaryou.htm
食文化とは何だろう。
 駿河湾に面した昭和40年以前生まれの大半の人は、生姜を効かせた、人参・蒟蒻・牛蒡・海豚を味噌及び醤油仕立てで甘辛く煮た物を1度は見し・食したことがあるはずだ。学生時代に「食」を学んでいた私は、1年生の時に仲間と鴨川のシーワールドでイルカのショーを見ていて、つい「海豚、食べてないなー」と口ずさんだ時に周りの人が「えっ」と言って眉をひそめて引いたことがある。それまでの私は、小学生の頃に風物詩のニュースで伊豆の入り江での海豚漁が流されていたので、海豚も鯨同様に日本国中で食べているものだと思っていた。
 母親に聞くと昔は「産後のひだち」に良いからと良く食べさせられたそうだ。栄養学的に見て海豚も鯨なので肉には鉄分を大量に含み低カロリー・高蛋白・低脂肪そして不飽和脂肪酸も豊富で産後の血の道に対してはうってつけの食材だ。昔の人たちは科学の力で数値に表す以前から経験でそのことを知っていたことには頭が下がる。
 終戦直後の食糧難時代に1頭当たり100食以上とれ、多くの子供たちの蛋白源になったありがたい食材だ。しかし現代の日本のように飽食の中では、それに変わる食材が必ず見つかるしサプリメントもある。食材としてみるならば臭みの原因である血液と消化酵素がない方が価値はあがる。固体から血液を抜く場合は心臓機能を利用して放血をするのが一番だ。現代の追い込み漁を見ていると「漁」をしていると言うより「駆除」しているように見えてしまうのは私だけなのだろうか。その目で見ていると、水に依存して生きているとはいえ他の魚のように活き〆をしてまで海豚を食す必要があるのだろうか。
 幼き頃から爺婆に身体に良いからと食べさせられた私のような年代の者には、何か無性にあの何も具の無いインスタント袋麺が食べたくなる時のように海豚を食べたくなる。理性では分かりもするし理解もできるのだが、食欲の欲を満たされた時の快楽がそうさせるのだろう。市場に無ければ無いで良いのだがスーパーなどにあると需要と供給が成立してしまう。多分これは私たちの世代で途絶えるだろう。
 食には嗜好が伴う、伝統を重んじて受け継いでいくには現代人に合わせて行かなければならないが、それを維持するのには余りにも食材が乏しすぎる。

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2007年1月 8日 (月)

ライフジャケットと悲劇

新春早々に伊東沖で悲劇が起きた転落した我子を救おうとして父親が飛び込んだが子供は死亡し、父親は行方不明になってしまった。自分も子を持つ親として良く理解できるのだが、多分その時に現場では父親は反射的に海に飛び込んだのだろうと思う。どちらか一人でもフロートを身に着けていればと思うと残念でならない。船の大小にかかわらず、その船で起きることの全責任は船長にあることは十分認識しているはずなのに反面、自分の身は自分で守ると言う風潮がある。常々思うのだが自分一人で船に乗っている時はいざしらず、同舟者がいる場合はその者の命を預かっているという意識が薄れているように思われる。ライフジャケットを着けていない船長や船頭さんが着用を指示しても説得力に欠けてしまうのは当然だ。

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