親父と海と思い出
バカが付くほどの釣り好きの父親だった。私の物心が付いたときには、かせ舟のござの上でダンゴを作って遊んでいたことを思い出す。自分で工夫をして作った仕掛けを試すことが好きだった親父は、乗り合い舟とは相性が悪く何時も仕立てていた。学生時代に私と姉に4級の免許を取らせて卒業後に自船で私達に船頭をさせて自分は釣三昧を企んでいた親父も私が卒業してまもなく46で私が25歳の時に他界してしまった。
母もそうだが19歳の時に姉が生まれ父親になったためなのか傍目で見れば「あぶなかっかしい家族」と思われてのかも知れない。
浜に投げ釣りに行った時に,まだ立ち上がることもできない赤ん坊だった姉を連れて行き子砂利を掘ってそこに姉を寝かし傘で日よけをしていた。さんざん釣りを楽しんで家の玄関で母の顔を見て姉を浜へ置き忘れたことに気づき大慌てで浜に行くと誰もいない浜で姉のはしゃいでいる声が聞こえた時は「ほっと」したそうだ。後々,母が「この人は釣った魚は忘れなかったが自分の娘を大浜に忘れてきた」とよく言っていた。
両親は飲食店を経営して昼時を過ぎ2時から5時まで店を休憩にしていた。
40歳になるまでは投網が好きで学校帰りの私を連れて毎日のように前浜に海の様子を見に行っていた。波が良くて投網をし始めると,夏などは日が長いので午後5時を回ってしまい,常連のお客さんが前浜の浜辺まで呼びに来たことがあったことなどまるで笑い話だ。
私たち兄弟も両親が自営をしていたので,親の帰りを待つと言うことはなく,逆に学校から帰ってくると両親が迎えてくれた。そして,常に一つ屋根の下で姉と自分,そして両親と4人で過ごしていた。親子でいられた時間は短っかたが父との思いでは尽きることがない。
山が嫌いなのではなく海が大好きだった。家族で旅行に行くのも山の中の温泉地へ行ったことは一度も無かった。なのでいまだに露天風呂からの風景は海,湯上りに山の幸は自分の中では一致しない。
姉もそうだが自分もそんな父が大好きだった。
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